昭和56年08月15日 夏の御大祭前夜 2代



 おめでとうございます。只今は滞りなく夏の大祈願祭、親先生祭主の元に奉仕させて頂きました。只今祝詞の中にもございました様に、この御大祭はもとのちゅうお広前を建立なさる時に、桂松平先生が思い立たれ。それこそ初めて御本部にお参りなさって、あまりにもお広前のみすぼらしさにびっくりなって、こりゃどうでもおかげ頂こうと言う様な事で、その大祈願を立てられます。
 それこそ商売する者の上には商売の大繁盛を、農業する者には大豊穣をと言う様な大祈願を立てられて、この祈願祭が始まったといわれます。今日只今桂松平先生が居られられるならば、間違いなくこの天下の名教をそれこそ世界の隅々に広げずにはおかん、それこそ生き代り死に代わりしてからでもと、言う様な大祈願を立てられたであろうと思うのであります。私最近親先生のここ一週間ほどの朝の御理解を頂きますと、本当にあのう親の思いと言うかせっせつたる思いを感ずるわけです。
 それこそ氏子どうぞ信心しておかげを受けてくれよと言うことなんです。昨日も申し上げたんですけれどもよく親先生の御理解に出て来ます、善道寺でお導き頂いて、そして勿体無いと言う世界勿体島に来られ、その待ったいないというものが、いよいよ心に花の咲く様な椛目の世界に住まわせて頂き、その有り難い世界を常に持ち続ける世界、いわゆる常持でありいわゆる極楽の世界、そしてその上にあります神と私共が合楽し合えるような世界、これが合楽世界なんですが。
 この合楽世界までどうでも着て頂きたいという、親先生祖神様のせっせつたる願いなのです。私共がそれこそおかげを頂いた。どうやらこうやらおかげを頂いたというのは、ちょうど常持ぐらいで降りておる様な事なんです。それからもう一つ合楽の世界に来て頂きたいということなのです。さぁそれこそ信心しておかげを受けてくれよと仰るけども、どういう信心すればしたらいいのか、真の信心ていうてどういうそれこそ、わが心は神に向こうのが信心と仰るのに。
 ならわが心が神に向かうためにはどうしたらいいのかと言う手立てを、それこそその気になって合楽理念の勉強させて頂きますと、説いておられる訳ですが。どうか一つ今日只今から親先生の御講話を頂きますけれども、親神様それこそ親先生のお言葉を借りて体を借りて、せっせつたる親神様の願い聞かれると思うて、一つ今日のお話を頂いて頂いたいと思います。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。